近藤サトの女のギアチェンジVol.6 「見えない壁」を恐れないで

巨大な壁の正体とは何なのか

 

社会現象を起こした#KOOTOO運動を見ていて、おお、頑張れ!とこころから応援したサローネ読者は多かったでしょう。

 

でも一方で、もはや自分にとってのヒールが辛かった日々はとっくに過ぎ去り、いまはヒールを強制されることもないかわりに、ヒールの高さなんて目じゃないくらい高い壁にぶち当たっていることをあらためて思い起こした人もいるのではないでしょうか。

 

しかもその壁は自分の人生の澱が積もり積もってできたような独自の代物だから、ほかの誰かと共感共有できるはずもなく、ひとりひとりが孤独に耐えながら立ち向かうしかないやっかいな壁ときたもんだ。

 

こんな壁を眼前にしながら、#KOOTOO運動を傍目に見ると、逆に羨ましさすら感じてしまいませんか?少なくとも私はそうでした。みんなで戦えるものがあっていいな、と素直に思ってしまうのが自然な感情だと思います。

 

では、この巨大な壁をどう乗り越えたらいいでしょうか。集団で立ち向かうことのできない自分にしか見えない壁。実はこの「自分にしか見えない」というのがポイントです。人間は「見えないものを創造」する生き物です。自分にしか見えないものをほかの人にも見せたいと熱望し、絵を描き、文字を描き、現代まであらゆる物を具現化しつづけています。

 

大昔ハイヒールを作った人間は、なんとしても形にしたいという感情を抑えきれず、ハイヒールを発明するに至ったのかもしれません。見えないものを見えるようにする行為は人間の営みの礎だとも私は考えます。

 

しかし、見えないものはもともと存在しないものだと考えると、私たちがぶち当たっていると感じている壁はアメリカとメキシコの国境のそれのように行く手を実際に阻んでいるわけではないのです。

 

万一、人生の壁を創作する芸術家がいたら具現化できるでしょうが、それは芸術的行為として一歩進んだ活動になりますので、逆にそれはぜひ創っていただきたい。真面目に。

 

見えないものを恐れずにまっすぐ進もう

前置きが長くなりましたが、要するにサローネ読者のみなさんに言いたいのは「壁なんかそもそもないじゃん」ということです。女も経験を積むと、人生の壁とかなんとか抽象的な言葉を使って、自分の心を撫そうとするのは逃げ腰な感情ですよ。

 

なので私はもし近くに見えない壁におののいている女性をみかけたら(みえるのか?)

「壁見えてませんけど~!」

と声をかけます。

 

辛くても、哀しくても一人でまっすぐ行くしかないんです。そしてはなむけには極上の誰もが触れ伏すようなハイヒールの靴をプレゼントするでしょう。もちろん、これも「見えないハイヒール」ですけどね。

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