偏差値高めの恋愛がグレイヘアを救う|女のギアチェンジVol.17

2020.12.30 LOVE

グレイヘアはなぜ浸透しにくいのか

私が40代最後のビッグイベントとしてグレイヘアデビューしてから二年以上が過ぎた。

当時はそれなりにもてはやされたがこうしてブームらしきものが少し落ち着いてみると、白髪を染めないというのは依然かなりマイナーなことのようだということが分かってきた。もちろん、経験者からしても未だ白髪は見た目の印象を激烈に老けさせる効果があるのは否めないから、安易に参入するのはお勧めしない。それにもう少し私を含めたマイノリティ女性の専売特許みたいにしておきたいしね。

 

とはいいつつも、一時のブームで盛り上がってはみたものの、なんとなく抑え込まれてしまった感があるのはどうしてだろう。グレイヘアは流行語大賞にもノミネートされたとはいえ、みんなが真似するほど流行したわけではない。いやいや、逆にトレンド的な現象だったと片付けられてしまったら困るのである。それでは一発屋ならぬ「一髪屋」になってしまう。

だからと言って「グレイヘアは女性解放への碑なのである」などといまさらぶち上げたら、こじらせ系の50代?とドン引きされかねないからこっちから引っ込めるとしても、グレイヘアが浸透しにくい要因がなにかあるはずだと、私は考え込んでしまった。

 

そこで思い当たったのが、もしかしたら日本の女性はいい歳になってもずっと若いころの恋愛を恋の手本としてるからじゃないだろうか、ということである。もちろんそれは男性にも言えることで、「モテたい=白髪を染める」とは一概に言えなくとも「白髪を染めない=異性にモテない」は現代日本社会ではいまだバッチリそうと断言できる(経験者談)。

なので、いままでも恋愛途上の女性には、戦略としてのプライオリティから、グレイヘアはあまりおすすめしてこなかった。

 

しかし、良きパートナーに巡り合って人間的に成長するなかで恋愛ステージも上がり、そろそろ「共に白髪」もいいんじゃない?と期待してみているようなカップルでも、これがなかなか、白髪染めをし続ける人が多くどうしてなの?と疑問に思っていた。

白髪を染める染めないの選択は個人の自由であるという前提はありつつも、総じて日本の女性は恋愛に関しては奥手、というか未熟というか要するにずっと不完全燃焼なのではないだろうか。だから恋愛の質そのものが向上しない。いつまでたっても恋が大人びないのだ。これはヤバい。グレイヘア問題よりずっと深刻な問題にちがいない。

 

日本における恋愛クオリティの低さ

生活の質であれば目に見えるから向上させ甲斐がある。しかし、恋愛の質は見えにくい。クオリティ オブ ライフは理解できても、人生におけるクオリティ オブ ラブ という考え方はあまり議論されないのだろう。加えて今、女性は社会進出という御旗の下で恋愛は二の次、しゃかりきになって勉強して、気づいたら男性より優秀な成績でもって就職、目標達成。そろそろ結婚もしようかな、と思った時には白髪がちらほら、これじゃモテない!って心は急に焦るのだけど、そういえば恋愛ってどうやってするの?女なドジでマヌケなほうが可愛い?なんて、マジヤバいことになってることにはたと気づく。

 

グレイヘアが増えないのも当然なのだ。では既婚女性は高みの見物かというとそうでもなくて「女性はいくつになっても恋をして輝く」などといううたい文句の魔法に間違ってかかっちゃった場合、気がついたら人が困惑するほどの幼さを取り戻し、「美的」ならぬ「魔的」とお墨付きをもらってしまったりする。

じつはそれもこれも恋愛偏差値の低さが関わっていると私は考えている。それが容姿に反映されてしまうのだ。毎年、世界各国で女性進出がどれだけ進んでいるかが数値化されて発表されるけれど、同時に恋愛偏差値指数も発表したらいいのに。

 

最近、少子化を食い止めるために、公的補助でお見合いあっせんもし始めたが、もっと恋愛そのものをしたほうがいいと思う。さらに言えばもっと早い段階で日本女性は恋愛市場に進出すべきかもしれない。

日本人の恋愛がしっかり育ってくれないと結果としてグレイヘアも増えず、いつまでたっても、白髪を染めない人は、わが道をゆく胆の座った変人みたいに扱われるのだ。

私の野望は、グレイへアでの恋愛市場がクレバーで美しく、若い世代の恋の手本として確立されることなのだから。

『女のギアチェンジ』は今回で終了いたします。新年より、近藤サトさんの新連載がスタートします。お楽しみに!

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