モラハラ夫とのあまりに長いレス。彼女が救いを求めたのは意外にも【40代、50代の性のリアル】#25前編
コンビニでビールを2本買う。道行く男性に「誰か一緒に飲みませんか?」と声をかける。仕事を終えて家路を急ぐ男性たちは、聞こえないふりをして目の前を通りすぎていく……。
札幌在住のナツコさん(48歳)は、ふり返る。まだ20代だった。あまりに無防備な当時の自分。危険な目に遭わなかったのは幸運なだけだったと、いまならわかる。だけど、それぐらいしか男性と知り合う方法が思い浮かばなかった。性的な欲求を解消したい、誰かと言葉を交わしたい。その一心で、夜な夜なコンビニの前に立った。
40代になってから「20代のあれはモラハラだった」と気づいた
「私と夫は、お互い学生のうちに結婚したんです。だから20代後半にしてもう結婚5、6年目。そのくらいからセックスを拒否されるようになったんですね」
それは、夫であるムネオさんから受けた数々の仕打ちの、ひとつでしかなかった。それがすべて「モラハラ」と呼ばれるものだったと気づいたのは、ここ数年のこと。その言葉が一般的になる前の時代、ナツコさんは自分が置かれている環境をなんと表せばいいのかわからなかった。
「大学卒業後、夫は就職し仕事に邁進するようになって、朝早く出て夜は遅い毎日でした。決算などの時期には会社に泊まることもありました。私は専業主婦でずっと家にいるだけの毎日なので、パートをしたいと言ったのですが、許してくれませんでした」
友人たちとは疎遠になった。夫を求めるも一方通行の毎日
次第に、ナツコさんは家から出なくなった。理由のひとつに、学生結婚もあるという。大学に通っていたり、社会人になってまだ日が浅かったりする友人らとは、すっかり疎遠になっていた。彼女らにとって結婚はまだ遠い世界のことで、すでに既婚者となったナツコさんを遊びに誘っていいものかどうか、ためらうところがあったのだろう。
ほとんど軟禁状態だったと言って、ナツコさんはうつむく。そんななかで唯一の話し相手である夫と触れ合いたい、と思うのはごく自然なこと。しかしふたりのあいだには、セックスレスという問題が横たわっていた。
「私はしたかったんです。だから恥ずかしさを押し殺して、『してほしい』とお願いしました。無視されることもあったけど、あきらめずに5回ぐらい言ってみたんです。そしたら『お前が醜いから、しないんだ』『痩せたらしてやってもいい』と返ってきました」
言うまでもなく、これもモラハラである。
私は愛されていない、何をしてもセックスはしてもらえない
実際の美醜は、ここではあまり関係ないだろう。容姿を否定されると傷つく女性は多い。それをよく知っている男性が、武器としてそれを使うことがある。ナツコさんもその攻撃を受け、心をざっくり抉られた。
「がんばってダイエットして、20kg落としたんです。それでも、私の外見のせいで自分はセックスする気になれないんだと夫から言われると、恥ずかしいやら情けないやら……。なぜか家事もできなくなっていき、自分がなんでここにいるのかわからなくなってしまいました」
夫から愛されていない、という確信だけが大きくなっていた。誰とも会話しない日々、ムネオさんに言われたことが頭のなかでこだまする。
夫の価値観に染まり、自分がわからなくなっていく
「不思議なことに、毎日のようにブスと言われると本当にブスになっていくんです。自分でもメイクをがんばってみるんですが、何をしても間違っているように思えて、やればやるほどおかしくなる。容姿のことだけじゃないですね。『お前は気が利かない』といわれれば、何をしても失敗するような気がして何もできなくなる。ぜんぶ自分が悪いとしか思えなくなって、自信が一切なくなり、常におどおどしていました……こんな人間、魅力的じゃないですよね」
夫から植え付けられた価値観にがんじがらめになり、眠れなくなった。精神科を受診はしていたが、夫がセックスしてくれないんです、とは主治医に言えなかった。処方されていた睡眠薬を飲みすぎてしまった夜のことは、いまも記憶にない。発見され、一命をとりとめたが、身体の一部に麻痺が残った。
夜のコンビニに立つようになったのは、そのあとのことだった。
男の子を”買う”ことができる場所へ
「よかったら私とビールを飲んでくれませんか」と男性に声をかける。「夫とセックスをしたい」が、いつのまにか「誰でもいいからしてほしい」に変わっていた。行き場のない欲求を、どうにかしたかった。自分のことを見てくれる誰かを、触れ合える誰かを、欲していた。
「ビールを受け取ってくれた男性がいたんです。そのままスナックに連れていってくれました。その夜は楽しく飲んだんですが、セックスには至りませんでした。でも、この夜から何かが吹っ切れました」
ナツコさんは、ゲイバーに出入りするようになった。夜中遊びに出ていても、夫も帰りが遅いのだからわかりはしない。最初はただ飲み歩いていたが、あるとき「売り専バー」というものがあると小耳に挟む。そこでは男性を”買う”ことができる。ほとんどのお店はゲイの男性限定だが、なかには女性が利用できるところもある。
売り専ボーイが思い出させてくれた、人肌の心地よさ
そうしたお店のひとつに、ゲイバーの店員がわざわざ連れていってくれた。「ここにいる男の子、誰とでもエッチができるんだよ」と聞かされ、目を見開いた。
「当時ナンバーワンだった売り専ボーイを指名しました。いざセックスをしてみたら……ひさしぶりすぎて、やり方を忘れていちゃっていたんですよね。流されるままで、人の肌ってこんなにあたたかいんだっけ、と思っているうちに終わりました」
ナツコさんにとっての20代は、結婚生活とセックスレスに苦しんだ日々だった。売り専バーでさまざまな男の子と遊んだ30代を経て、40代を迎える目前に、夫の浮気を知った。
「夫が通勤で使っているバッグから、シャツがはみ出ていたんです。会社に泊まり込むこともあったので、着替えを持ち歩いていたんですね。洗濯しておこうと思ってシャツを引っ張ったら、一緒にコンドームの箱が出てきたんです。しかも、お徳用パック」
浮気した夫とは暮らしていけない! 飛び出した先には…
残業も泊まり込みも休日出勤も、ウソだった。夫は就職してからずっと誰かしらと浮気をしていたのだと、あとになってわかる。見抜こうと思えば簡単に見抜けたはずなのに、一度も疑ったことはなかった。
考えることを放棄していたのだろう。それほど、ムネオさんの支配下に置かれていた。
「その日のうちに、現金10万円を手に家を出ました」
ネットカフェに転がり込んではじめて、ナツコさんは行く宛のないことに気づいた。数少ない友人に連絡を取ると、ゲストハウスならしばらく暮らせると教えてくれた。少し落ち着いてから、実母に連絡をとった。夫の浮気を打ち明けても「男の人なんて手のひらのうえでコロコロ転がしてとけばいいのよ」と言われ、この気持ちをわかってはもらえないのだと痛感した。ただ、生活を立て直す工面をしてくれたことは感謝している。
はじめてのひとり暮らし、夫がいない開放感
マンションを契約し、40代になって別居生活、ナツコさんにとってははじめてのひとり暮らしがはじまる。
「すっごい開放感でしたね。背中に羽が生えたような気分です。それまでは夫が家にいるときもいないときも、24時間気を遣っていました。ひとり暮らしならいつご飯食べてもいいし、夜通し起きてたって何も言われないし、友だちの家に泊りがけで遊びに行ける。友だちを呼んでもいいんです」
多くの人が20代で経験することを、40代になってはじめて経験した。年下の恋人もできるが、そのお話は後篇で詳しくお伝えしたい。
夫との離婚には、別居から3年がかかった。双方とも記入の終わった離婚届を前に、ムネオさんは「これだけはわかっていてほしい、俺はナツコのことを愛している」と泣いた。それを示したいのか、慰謝料という形で生涯ナツコさんを経済的に支えると約束し、誓約書を書いた。以来、いまに至るまで毎月欠かさず支払いがある。
元夫婦だからこその距離感、悪くない。
「こんな彼だから、モラハラを受けていたときもそうと気づけなかったし、嫌いになれなかったんですよね。律儀だし、かわいげがあるし、冗談やモノマネで笑わせてもくれました。24時間365日イヤな面しか見せられなかったらすぐ嫌いになれたでしょうし、そのほうが楽だったと思います。私、なんだかんだいって、夫のことが好きだったんですよ」
離婚した現在のほうが、いい関係を築けていると思う。元夫婦のふたりは、ときおり電話したり、会ってお茶をしたりする。20年間、暮らしをともにした気安さがある。お互いの親の話をするときなど、背景を説明する必要がない。結婚していたあいだのことを許すわけではないけれど、たまに会って話をするいまの距離感を、ナツコさんは悪くないと思っている。
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