平安時代のお姫様が「モテるため」に努力していた意外すぎること…「私絶対平安時代ムリ」
*TOP画像/倫子(黒木華) 大河ドラマ「光る君へ」11回(3月17放送)より(C)NHK
大河ドラマ『光る君へ』には源倫子(黒木華)が主宰するサロンで学んだり、雑談を楽しんだりする姫(※)の姿が描かれています。彼女たちの空間だけがまるで別世界のようにゆったりと時間が流れているように見えますよね。
実際のところ、平安時代における姫たちはどのような暮らしを営んでいたのでしょうか。
前編記事『令和の「タワマンマウンティング」と平安の姫君サロン「ヒエラルキー」最大の違いとは?』に続く後編です。
帝や上流貴族の男から“愛される姫”になるため日々努力していた
近現代では、スペックが高く、家柄もよい男性の結婚相手に選ばれる女性は容姿が優れるだけでなく、お付き合いや社交のシーンに「きちんと応じることができる」女性であることがほとんどです。
もちろん港区的な、「容姿さえよければ、教養がなくても家事ができなくても問題ない」という見方もあるでしょうが、家柄がよく、学歴も高い男性が“結婚相手”として選ぶ女性は同等レベルの女性というケースが多いのも事実。
これから見ていくように、男性が結婚相手とする女性に求める素質は平安時代と現代ではあまり変わらないのかもしれません。
姫が帝や上流貴族から妻としての寵愛を受けるには美しい外見だけではなく、教養や嗜みが不可欠。当時、階級の高い女性には以下が求められていました。
・連綿体
美しい文字はステキな女性の条件。男女が顔をあわせる機会が少ない当時、文(手紙)の印象がすべてだったといえる。
・和歌
恋する男女が歌を贈りあう文化があった他、有名な和歌は会話でも引用されていたため、和歌の知識は人間関係を築く上でも必要。和歌を覚えるために『古今和歌集』など有名な和歌を書き写す「手習い」に幼い頃から励んでていた。
・楽器
琴や琵琶の演奏は女性にとって重要な教養。楽器は家庭内で日常的に弾いていただけでなく、儀式でも演奏していた。
・裁縫
女房の仕事には裁縫が含まれることも多い。当時は衣服を自宅で用意していたため、裁縫や染色が得意な女性は評価された。ただし、洗濯は上流階級の女性の仕事ではない。
これらはいずれも一朝一夕で身につくものではありません。姫は幼少期より女房からさまざまな指導を受けていた他、ある程度の年齢になればサロンに参加して知的な会話を楽しんだり、教養を高め合ったりしていました。
さらに、当時の遊び(娯楽)は教養が問われるものばかり。漢字になる偏を見つける偏つぎや詩の一部を当てる韻塞ぎは知識がなければ、相手と楽しく勝負できません。
平安時代の姫は自由気ままにゆったりと暮らしていたわけではなく、男性から寵愛を受けるためにも幼い頃から一生懸命に学び、”ステキな妻“になれるように自分磨きをしていたのです。
平安時代の女性は「ファッション」や「香り」に夢中
姫たちは自分を美しく見せる方法を追求していました。
ここでは、平安時代における姫のおしゃれのポイントを見ていきましょう。
髪型とメイク
当時の女性における美人の条件とは長い髪の毛です。たらした長い髪が美人の条件の中でもダントツで重視されていました。一方、髪が顔にかからないようにと耳を露わにする姿や縮れた髪(天然パーマ)は好まれませんでした。
また、平安時代の女性というと、太い眉(麻呂眉)が印象的ですよね。当時、眉は全部抜いてしまうのが一般的。そして、楕円形をした眉を顔の高い位置に眉墨で描いていました。貴族たちの間で“感情を表に出すことは恥ずかしいこと”と考えられていたため、感情が他者に伝わりやすい眉を消し、皮膚が動かない額の高い位置に描くことが好まれていたという説があります。
衣
姫たちは着る物にもこだわり、かさね色目を楽しんでいました。かさね色目とは袿(うちき)を重ねた装束の襟元や袖口の配色のことです。彼女たちは自然美に興味をもっており、かさね色目で四季や草花を表現していました。
藤原道長の娘・妍子は“派手好き“で知られており、女房たちに何色もの袿を選ばせていたと伝わっています。女房の中には20枚前後の袿を重ねた人もいるんだとか。
屋敷や宮中で袿の配色についてあれやこれやと悩む女性たちの姿を想像できます。
香り
平安時代の貴族は装束に伏籠を使って、香りづけを行っていました。自分好みに調合した香りを装束につけ、所作のあとに残る香りにこだわっていました。
女性たちは余暇などを利用して香りの研究や情報交換なども楽しんでいたかもしれませんね。
人間の趣向や生活スタイルはそうそう変わるものではないのかもしれない
このように見ていくと、現代人と平安時代における特権階級の人たちの趣向や価値観、余暇の過ごし方は似通う部分もあることに気付きますよね。
現代においても育ちのよい男性は女性に同等の育ちや教養を求める傾向にありますが、それは平安時代も同じでした。また、宮仕えをする女たちはいわゆる“ハイスペ女性”であり、外見の美しさはもちろん、家柄や教養が重視されていました。
当時の上流貴族は娘を天皇家に入内させ、生まれた息子の後見役として一族を繁栄させていました。父親は天皇から娘が寵愛を受けられるように、娘を美しくすることに気を配っていたといわれています。つまり、父親は娘の美容に協力的だったのです。
いつの時代も女性たちはファッションや香りを余暇に楽しんだり、自分を美しく見せる方法を追求したりしているのです。
参考文献
・繁田信一 (監修)『平安貴族 嫉妬と寵愛の作法』 ジー・ビー 2020年
・西東社編集部 『心に響く! 美しい「日本の伝統」1200』 西東社 2018年
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