40代「自分のやりたいこと探し」に焦る人が増える。その「やむを得ない」理由とは?【キャリアの棚卸#1】
40代に入り、会社員生活の残りが20年を切りました。ちょっとだけ生活が落ち着いてきた人が次に考えるのが「この先どういうキャリアをどう積んでいくか」。この仕事をこのまま続けていくのか? 他の道を歩んでいくのか?
女性のセカンドキャリア研修を手掛ける株式会社Next Storyの代表、西村美奈子さんにお話しを伺いました。
【何から始めればいい?40歳を過ぎたら考える「キャリアの棚卸」のこと】
40代「自分のやりたいこと探し」に焦る人が増える理由は
こんにちは、女性のセカンドキャリア研修を手がける「Next Story」代表の西村美奈子と申します。
私は新卒で富士通に入社し、50代に入ってから女性のセカンドキャリアにまつわる研究を始めました。58歳で早期退職して「Next Story」を作り、研修と女性たちのコミュニティづくりに携わっています。現在62歳です。
振り返れば、私も40代は迷いの時期でした。みなさんもお迷いではと思います。この背景にはステージの問題もあります。
まず、40代後半にさしかかると育児は大抵一段落します。高齢出産の方でも保育園時代のようなバタバタ感はなくなりますし、早ければ子どもが高校や大学に進学してほぼ手を離れます。受験などでの関わりはあっても、物理的に自分の時間を使うことはなくなり、「さあどうしよう」と急に自分の将来を考える余裕が生まれます。
現在の仕事が天職で、このまま極めていきたいと心に決めている人は迷いません。ですが、これまで組織に忠実に従い、与えられた仕事を懸命にこなしてきた人ほど「自分のやりたいことは何だっけ?」と我に返る傾向があります。
定年まではまだ時間があります。残り日数が足りずに焦るのではなく、もっと大きな人生のテーマに迷い、「自分のやるべきことを早く探さなきゃ」と焦り始める時期なんです。
40代半ば、漠然と「定年後に仕事がなくなる不安」が頭をよぎりはじめた
私はもともとエンジニアとして富士通に入社しましたが、エンジニアとしては傍流を走ってきました。仕事は何でも無我夢中で楽しんでやってきましたが、40代半ばから、「定年後に仕事がなくなったらどうしよう」と漠然と不安を覚えるようになりました。仕事がなくなったら、私はいったい何をして過ごすんだろう?と。
そんな渦中の47歳、私は社内の情報共有を推進する立場になりました。文字通り四苦八苦しながら努力するうち、各企業でSNSを運用する担当者交流会のお誘いを受け、参加するようになりました。これが私の人生最大の転機でした。
それまでの30年、私は富士通以外の環境を全く知らずに育ってきたんです。たとえば当時、会社は台風の日も基本は出勤でしたが、外資系のI社さんは「どうして無理して出社するの? うちはそういう日は在宅ワークだよ」と言う。当時は未だ在宅ワークは一般的ではありませんでしたが、まったくカルチャーが違うことに衝撃を受けました。そして、こうして異なる背景を持つ他社さんたちが集まる場がとっても心地いいなと思いました。
やがて、私もこうして人が集まる何かをやってみたいなと考え、54歳のときに女性の生き方を考えるイベントを主催し始めました。
その後、昭和女子大学理事長(当時は学長)の坂東真理子先生にお会いする機会があり、自分が定年後のキャリアに悩んでいると話したところ、「それを研究してみたら?」と言われ、56歳で昭和女子大学現代ビジネス研究所の研究員になりました。
当時、仕事も研究も両方とも面白かったのですが、仕事はどうせ終わりがあると思い、研究に専念しようと58歳で早期退職しました。
やがて、坂東先生から、「研究だけじゃだめよ、社会に生かしていきなさい」と言われ、59歳で現在の会社を作りました。その後、61歳でキャリアについてきちんと学びなおそうと大学院に入学し、いまも研究を継続しています。
NEXT>>>定年後って、そもそも何をしたらいいのかがわからない!…どうすればいい?
★次回セミナー7期生募集中。6/4(土) AM/PM、7/3(日) AM、7/9(土) PM の3日間(4コマ)です。
詳しくは
https://next-st.com/post/eventinfo/20220604-1/
お話/西村美奈子さん
株式会社 Next Story 代表取締役 富士通グループ在職中から「マチュア世代の働く女性のセカンドキャリア」をテーマ に研究に従事。早期退職後、自身の経験と研究をベースに会社設立。昭和女子大現代ビジネス研究所研究員、2級ファイナンシャルプランニング技能士(国家資格)
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