夫の急死、借金発覚。clubhouse初の「プロモデレーター」で起業、3000人を集めたシンママの「一念」とは?

2022.05.25 WORK

コロナを潮目に急速に働き方の変化が訪れている。SNSを経由した仕事もその一つ。従来ならば考えられなかった経緯で、まったく新しい「行動」を仕事にする女性が登場しているのをご存じだろうか。

 

友理さん(35歳)もそんな一人。長崎出身の彼女は福岡で短大を卒業後、社会に出るものの、24歳で結婚。夫の住む兵庫県西宮市で暮らしはじめ間もなく第一子を出産。ところが年子に続き3人目も次々と妊娠し、またたく間に3人の小さな子どもの母になる。

 

家事も子育ても妻としての人生もわからないことだらけで、夫にもすごく不満を募らせた部分も多かった日々。11歳年上の夫は建築関係の自営業でバツイチ、友理さんには専業主婦でいてほしいとハッキリ伝えていたという。

【新しすぎる働き方図鑑#2】前編

 

慣れない土地に若くして嫁ぎ、立て続けに3人出産。追い詰められていく日々

「3人目が生まれたとき、2歳と1歳の子たちがいて。何もわからないかった私はいつの間にか育児ノイローゼになってしまい……今、あの時を思い出してもほとんど記憶がありません」

 

実家がある九州から関西に嫁いできたため、親も友達もそばにいない。家事や子育ては夫の親戚、義母を頼るしかない。孤独感は募るばかりだが目の前には幼い子どもたち。夫は仕事ばかりで友理さんは誰にも頼ることができずどんどん追い詰められていった。

 

「何のために生きているの?と落ち込む毎日でした。ある日コルクボードに、海外旅行に行く夢をピンで留めていたら、旦那さんに『誰がそれ連れて行くねん?主婦はお金稼げないからすぐには行けへんのちゃう?』って悪気なく言われて。母親になると夢は持ってはいけないんだ……と涙が出てきました」

 

それ以降、友理さんはこっそりと自分だけのノートに夢を綴りはじめる。時には不満を紙に思い切って書いてシュレッダーにかけて溜まるばかりの不満や子育てでのイライラなど気持ちを解放していた。

 

「求めるばかりではなく、誰かを応援できる人になりたい」と気づく

「毎日が苦しくて、辛かったのですが、ある時からHappyちゃんや、本田晃一さんとか、心屋仁之助さんのブログを読んだりYouTubeを観るようになったんです。それで初めて救われました。私はいつも気づけば周りや相手に求めていたことに気付いたんです。そして、周りを変えようとしても意味がない、自分が変わろうって改めて思えたんです。たった5分でもお風呂につかるとか、コーヒーを飲んでリラックスするとか、自分だけの時間をほんの数分でも作るようにしました」

 

その後、夫や親戚の方に「良い嫁と思われたい」がためにしていた行為も減らし、家事や子育てを完璧にすることを手放した。週に何度かはお惣菜を取り入れたり、掃除は2日に1回にするなど、少しずつ完璧主義を減らしていった。そうすることで、心にも生活にも余裕が出てきて、夫婦関係も親子関係も全て良くなり始めてきた。

 

「夫婦関係がだんだんとよくなっていったんですね。そして半年後、まさか、旦那さんから『式を挙げよう』と言葉が…。旦那さんはバツイチだったこともあり、結婚式は嫌がってたのでその言葉を聞いた時、すごく嬉しかったことを覚えています」

 

やっと夫婦関係が好転した矢先、あまりに突然すぎる夫の死去。借金が発覚

しかし友理さんの幸せな毎日は長くは続かなかった。ある日突然、夫が不慮の事故で亡くなるのだ。まさかの2020年のできごとである。

 

「頭が真っ白。本当に何もできなくなって、寝込んでしまったんです。さすがに親戚たちが家のことをやってくれたり、子どもの面倒をみてくれたりしてくれました。あの時の記憶がごっそり抜けてしまって。穴が空いてしまって何が起きたか把握できませんでした」

 

建築業だった夫の事故死。建築現場の仕事も途切れてしまったため、同業の親戚が一丸となって途中で止まってしまった仕事の対応をした。そしてやっとのことで起き上がり現実を直視して、亡き夫の会社の書類や帳簿をチェックすると1400万円もの借金と支払いが残っていた。

 

「本人からまったく聞いたこともない寝耳に水の現実でした。」

 

夫の遺産を親族で分割しても借金が残る状態で、目の前が真っ暗なまま頭を抱えるばかり。専業主婦だった友理さんは、とりあえずパートに出て時給数百円で働くことしか思い浮かばない。あれこれ考えてはみても、頭のなかでは「無理!無理!」の二文字しか出てこなかった。

 

「あれこれ模索する中、SNSで発信することで何か収入に繋がらないかと考えて。インスタとかYouTubeをやり始めてみたんですが、所詮素人ですから、まったくうまくいかないんですね。箸にも棒にもかかりませんでした」

 

軌道に乗らないSNS…出会ったclubhouseも鳴かず飛ばずだったが

そして2021年1月末、コロナ禍の日本を席巻したSNSのクラブハウスが現れる。緊急事態宣言のなか、芸能人を含め日本中が人との会話や触れ合いに枯渇していた時期、一瞬で火が付きAppStoreランキングで1位を獲得し、一大ブームになったことは記憶に新しい。

 

「友人同士で気軽にClubhouseをはじめてみたんです。もちろん訳がわからず、ただ単に自分のルームを開いて話しているだけでした。ところがあるときから、誰かの役に立つ発信がしたいと思って、ゲストを呼ぶことを始めてみたんです」

 

Clubhouseでは有名な著者や芸能人との接点が持てるチャンスがある。

 

「そのほうがみんながハッピーな企画だと気づいたんです! そしてClubhouseのなかにいる著名人、特に自分が読んで感動した本の著者に『話を聞かせていただきたいので、ぜひ一緒にルームをやってくれませんか?』とDMを送りました」。

 

接点が持てそうなルームに顔を出しては、オファーをかけたり、SNSでオファーのDMを送る日々。ゲストスピーカーを交えたトークはリスナーにとって勉強になる。また、スピーカーはさらに多くのリスナーに知ってもらうチャンスとなり、どんどん好評をもらえるようになった。

 

自分のプロフィールを書いて、誰もが知る「語り手」にスピーカーとしての依頼を送り、自分のルームで話をしてもらうことを続けていた。

 

スマホが壊れてデータを全ロストした日、ショックを受けながら開いたルームがバズった

友理さんのフォロワー数が300人ぐらいになったある日のこと、伊勢神宮に行ったその日の帰り、ちょっとした段差でつまづき、転倒してしまう。不覚にも友理さんのスマホが壊れてしまう。これまでの夫との思い出や全てのメッセージなどもデータが全部消えてしまったのである。

 

「焦ってすぐに新しいスマホを買いました。IDが残っていたClubhouseにログインはできたので、救われました。が、全ての旦那さんとの思い出が消えたこともあり、ショックを隠しきれませんでした。そんな次の日に開いたClubhouseのルームがなんとバズったんです!」

 

驚いたことにリスナーが次々と友理さんのルームに入ってきた。その中にはタレントの田中律子さんや、DJKooさんもいたという。その日、最終的には1600人ものリスナーが集まってきて、友理さんのルームが日本一沸いた部屋になった。

 

実は友理さんは、Clubhouseを始めた当初、見ず知らずの、クラウドファンディングを頑張る人を応援する機会が多かった。目標額に達成するとその方の夢が叶うのと同時に、自分も叶ったように嬉しくなり、自ら進んでクラファンの応援者になっていたのだ。

 

「友理さんはいつも人の応援ばかりしているけど、小さい子どもが3人いるシングルマザーで、借金もあって友理さんが応援される立場でしょう。これからは僕たちがあなたを応援するよって憧れの本田健さんが言ってくださったんです。私はずっと応援する側でしたが、応援される側になったんです。それ以来、武田双雲さんや本田健さんほか多くの著名な方に応援していただけるようになりました』

 

以来、Clubhouseで認められた友理さん。フォロワーもどんどん増えて、著名な先生を講師に迎えてセミナーを開催することができるようになる。

 

▶【この記事の後編】私も育児ノイローゼになったからわかる。ママに必要なことって、シンプルなこの2つだって

 

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