平安時代の「貴族ではない人たち」は何をして暮らしていたのか?答えは簡単、我々と同じく…
紫式部を中心に平安の女たち、平安の男たちを描いた、大河ドラマ『光る君へ』の第7話が18日に放送されました。
*TOP画像/ききょう(ファーストサマーウイカ) 大河ドラマ「光る君へ」7回(2月18日放送)より(C)NHK
【平安時代は人口の大半が庶民】男女関係なく、労働にいそしむ庶民たち
現代社会でも富裕層は人口ピラミットにおける上層部の一部に限られているように、平安時代においても貴族はほんの一握りしかいませんでした。とはいえ、平安時代は貴族を中心に語られるのが一般的であり、庶民に関する記録はあまり残っていません。
ほとんどの庶民は文字を書けなかったため、貴族のように自分の感情を書き留めたり、その日の出来事を日記に綴ったりすることはできませんでした。また、貴族中心の社会では庶民の記録を残す必要はないという考え方もありました。記録されることもほとんどなかった“名もなき庶民”ですが、当然ながら彼らにも暮らしがあり、文化がありました。
平安時代の社会では、庶民は男女関係なく、生計を立てるために労働にいそしんでいました。庶民と一口で言っても、男性は農業や生産業などさまざまな仕事に従事していました。また、女性が働く場所も多岐にわたっています。例えば、米作りにおいて田植えや脱穀は女性の役割です。自分の家で米作りに従事する女性もいれば、田主に雇われて働く女性もいました。その他にも、商いに従事する女性や高利子業を担う女性もいました。
平安時代は差異を利用して利益を上げる社会構造でした。庶民は働けど働けど暮らしがラクにならざり。貴族は魚や貝、野菜など30品前後の料理を宴会などで味わっていましたが、庶民の食事は玄米や麦のごはんに青菜の汁、わらびの漬物、魚などのおかずが1~2品程度。また、貴族のように美しい衣を身にまとう機会もありませんでした。さらに、当時は親の職業や社会的地位が子どもにそのまま受け継がれるのが一般的でした。このため、現代人のように数ある選択肢の中から自分の好きな職業を選んだり、自己実現に向かって働いたりといった考え方はありません。
インターネットや庶民が読むような歴史書などがない当時、彼らは他と比べようがなく、自分が置かれている環境がすべてでした。庶民が自分たちの暮らしをどのように考えていたのか想像しがたいものの、現代人から見て平安時代の庶民の暮らしはきらびやかでも、ラクなものでもありません。家は竪穴住居という縄文時代の住居を彷彿させる簡素なつくり。糞尿は小道でするため、街の衛生状態も悪かったと伝えられています。また、街には物乞いがあふれていましたが、貴族たちには彼らを保護しようと考えることはありませんでした。
当時の庶民の状況を知るにあたって、『光る君へ』の6話に着目しておきたい場面があります。まひろは直秀が所属する散楽の一団の練習に偶然出くわし、彼に「すっごいわね みんな 人じゃないみたい」と伝えます。直秀のこの言葉に対する答えは「虐げられている者は もとより人扱いされていないんだ」でした。まひろは散楽の一団のパフォーマンスを褒めたわけですが、彼女の率直な感想が直秀に伝わることはありません。二人のこの会話にも貴族と庶民の置かれている状況や価値観の違い、庶民の当時の扱いがうかがえます。
“おかしきことこそめでたけれ” 愉快じゃ、愉快じゃ。いつの時代も庶民は浮世を忘れて笑いたい。演者はいつの時代も庶民の味方
第6話で、まひろは五節の舞姫の恋を散楽のタネとして提案しましたが、直秀に「大体 その話のどこが面白いんだ?」「散楽を見に来る民は 皆 貧しくかつかつで生きてる。だから笑いたいんだよ。笑ってつらさを忘れたくて辻に集まるんだ。下々の世界ではおかししきことこそめでたけれ」と冷たく返されます。
現代においても我々庶民は単調な仕事に疲弊し、日々の悩みや将来の不安を忘れるためにも笑いを求めています。疲れきっている状態で、お嬢様のしたたかな恋をテーマにした演劇を鑑賞したいと思う人は少ないはずです。私たちの多くがYouTubeのおもしろ動画やバラエティ番組を余暇に鑑賞し、ケラケラと声を出して笑い、鬱憤を晴らしているように、当時においてもばかばかしいほどふざけたネタや世相を捉えたネタが人気を集めていました。
『光る君へ』では散楽の場面が多く描かれていますが、平安時代の庶民にとって散楽は身近な娯楽の1つ。この時代、舞は貴族のものであり、晴れの場に演者として参加するには相応の身分が必要でした。一方、散楽は演者も含めて庶民に近いものでした。そもそも、散楽とは奈良時代に大陸から渡ってきたもので、猿楽のルーツとなるものです。サーカスのように歌謡や舞踊、ものまね、アクロバティックな演出など内容はさまざま。観客を湧き立たせるようなパフォーマンスや滑稽さが際立つ演出もありました。また、散楽は庶民の文化ではあったものの、宮中で暮らす上層階級の人たちも楽しんだという記録も残っています。
平安時代よりも時代は先になり、海を超えますが、16世紀のイギリスにおいてウィリアム・シェイクスピアの戯曲が宮廷人からも庶民からも人気を集めていました。彼の戯曲も王族や貴族を観客として演じられただけでなく、庶民が主な観客となる劇場でも上演されました。現代では、シェイクスピア作品は高尚で、楽しむには教養が必要であると一般的にみなされています。しかし、シェイクスピア劇で扱われているテーマはいずれも、当時の庶民にとっては身近なものばかり。当時の庶民は貴族や社会の風刺、権力者が失墜するストーリーを楽しんでいました。反体制派であったり、上層階級に対してうらみをもっていたりというわけではないものの、偉そうに振る舞う支配層の風刺や失墜は彼らの心をほぐし、笑いを誘いました。また、シェイクスピア作品の台詞にも卑近なユーモアや下ネタがありますが、庶民が求めていた言葉はまさにこういった言葉たちでした。
いつの時代においても、私たちは笑いを求めています。現代社会に属する私たちも芸人が「嫌な上司あるある」と題して話し方や振る舞いを滑稽に真似ている姿を見ると、スカッとし、心が軽くなることもあるでしょう。また、誰もが知っているような歌手や芸能人のものまねは面白おかしいものです。時代を問わず人間は日々の憂さ晴らしのために“おかしきこと”を求めているのです。
参考資料
・石井倫子『能・狂言の基礎知識』 KADOKAWA/角川学芸出版 2009年
・服藤早苗『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』 NHK出版 2023年
・砂崎良 『平安 もの こと ひと事典』 朝日新聞出版 2024年
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