平安時代の移動手段で「丸見え」になるものって何?貴族が使う「牛車」の乗り心地ってどうだったの?
*TOP画像/隆家(竜星涼)、武士たち 大河ドラマ「光る君へ」 46話(12月1日放送)より(C)NHK
『光る君へ』ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は平安時代における「移動手段」について見ていきましょう。
<<この記事の前編:まひろの道長に対する現在の思い…。ふたりがこの世で再び手を取り合う日が訪れるのだろうか
「牛車」に乗ることが認められているのは貴族だけ。乗れる牛車は身分によって違う
牛車(ぎっしゃ)が日本に広まったのは9世紀頃といわれています。牛車は従五位下以上の貴族のための乗り物でした。当時の貴族にとって牛車は現代でいうところの自動車のようなもので、牛車で内裏に出勤したり、恋する女性のもとに遊びに出かけたりしていました。
牛車と一括りにしてもいくつかの種類があるだけではなく、乗る人によって付き添い人の数も違います。また、今でこそお金があれば誰でも高級車に乗れますが、身分制度が根付いていた当時は身分によって乗れる牛車が決まっていました。
ここで、平安時代における牛車の種類を見ていきましょう。
・唐車(からぐるま)
唐車は最上位の牛車で皇后、関白などが乗る牛車。屋根のようなかたちが特徴。
・檳榔毛の車(びろうげのくるま)
檳榔毛という植物を糸状にしたもので車体を編んだ牛車。白っぽいカラーが特徴。大納言や中納言といった公卿が乗っていた。
・糸毛車(いとげのくるま)
車体が色糸で覆われており、柄が入った洒落た見た目が特徴。女性らしいデザイン。中宮や東宮、高位の女官などが乗っていた。
・網代車(あじろぐるま)
平安京内をもっともよく走っていた牛車。檜皮や竹で車体が覆われていた。大臣以下の公卿が乗っていた。
牛車の乗り心地ってぶっちゃけどうなの 次ページ
スポンサーリンク